こちら(↓)の「ラップの歌詞から日常で使える英語を学ぶシリーズ」も気がつけば20話を突破しました。
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実際はまだまだ紹介したいかっこいい/面白いパンチラインはたくさんあるからこのシリーズはこれからも細々と続いていくつもりだけれど、今日はちょっと視点を変えて、ラップはそもそもいつ、どのようにして始まったのかというところに注目してみたいと思います。
ラップの誕生にまつわる話はラップ好きなら知っておいて損はない知識だし、そうでなくても文化的にとても興味深い内容なので、箸休め的な感覚で読んでもらえたら嬉しいです。
ということで早速一緒にラップミュージック誕生の歴史を遡って行こう。
ラップミュージックはいつどこで生まれたか
では、まずはいきなり本題であるラップの誕生について。
一般に音楽的な意味でラップ(“rapping”)という言葉が使われるようになったのはズバリ、1960年代のアメリカ東海岸においてだと言われています。
現在では、いわゆる普通のラップ曲からフリースタイルラップ、ラップバトルなど、いろんなスタイルの「ラップ」が存在するけれど、当時のラップはというと、現在のようなビート(音楽)に乗せてリズミカルに韻を踏むスタイルではなく、単に誰かを説得したり楽しませたりするための「ユニークで滑らかな話し方」という意味合いだったそうな。
それが次第に独特の派手なビートに乗せた今のラップスタイルに近づいていくのが1970年代以降。
そして上の第一弾の記事でも紹介したように、「ラップミュージック」という新しいジャンルの音楽が世間に広く知れ渡るヒット曲が出たのが1980年代前半になってからのこと。
と、こうやって見てみるとラップの歴史というのは実はまだ50年くらいで、決して長いとは言えませんね。
でも、実際のところはあのかっこいいラップミュージックが1970年頃にいきなり「ポンッ」と出てきたわけではもちろんなくて、その裏側には様々な文化的・歴史的背景があってそれが実に面白い。
ということでここからはそんなラップがラップになる少し前の話をしていきたいと思います。
ラップの起源は西アフリカにある!
普段ラップを聴かない人でも、「ヒップホップ」や「ラップ」と聞いて「黒人」を連想する人はきっと少なくないと思います。
事実、これまでのヒップホップアーティスト/ラッパーを見てもその大多数は黒人であると言っても過言ではないでしょう。
音楽業界、とりわけヒップホップ、R&B、ソウル、ジャズ、ファンク、ブルースなどは、スポーツ業界と並んで黒人が広く活躍する世界で、その理由としては黒人の「身体的な強靭さ」はもちろんのこと、僕はそれに加えて彼らの「精神的な強さ」と「独特のリズム感」がとても大きな要因になっていると思っています。
ここで1つ、下の短い動画をご覧いただきたい。
これは、ラップが誕生する何百年も前からアフリカに存在する、音楽に合わせて歴史や民話などを伝える“griot”(グリオー)と呼ばれる「伝統伝達者」のパフォーマンスです。
この予測不能のステップ・・こんなステップをサッカーの試合でやられたらDFはたまったもんじゃない・・・笑
という話は置いといて、実はこの独特のリズムと掛け声、これこそがラップの起源だと言われているんです。
元々“griot”とは、西アフリカにおける「歴史家、噺家、詩人、歌手、音楽家」のような意味合いを持つ世襲制の職業(と言えるのか?)のことを指すんだそうです。
彼らは彼らのコミュニティに古くから語り継がれる言い伝えや、民族内/他民族間との政治的な話、はたまた「◯◯と◯◯が不倫した」というようなゴシップネタまでもを熟知し、それを上の動画のような独特のリズムに乗って披露し、人々を教育し楽しませていたため、コミュニティのリーダー的存在としてとてもリスペクトされていたそうです。
(それにしてもこの登場の仕方と、闇へ消えていく姿がなんともシュールすぎる笑)
そしてこの「ありとあらゆることをユニークなスタイルでリズムに乗ってパフォーマンスする芸能」がのちに大陸を渡り、アメリカ東海岸でのラップミュージックの誕生へと繋がったんですね。
ラップの誕生と奴隷制度は密接な関係にある!
ラップの起源がわかったところで、次はそれがどうやって発展し現在のような多くのラッパー、MCを生んだのかということについて見ていきたいと思います。
1つ前で見た「独特のリズム感を持った黒人」たちは、18世紀中頃から奴隷として大量に、主にアメリカ東海岸に連れて来られるようになりました。
そして19世紀に入るとアメリカ大陸の開拓に伴って奴隷たちも次第に南部・西部へと移動することになります。
この頃、アメリカ南部の広大なプランテーションでは奴隷たちは白人の奴隷主の元、劣悪な環境で過酷な労働を強いられていました。
奴隷たちの間ではその不公平で容赦ない扱いに当然不満が募りますが、その不満の矛先は奴隷主に向けられることはあまりありませんでした。なぜなら奴隷主に刃向かうことは自らの命を危険にさらすことに繋がったからです。
では、彼らは限界まで溜まった鬱憤をどのように晴らしたのでしょうか。
実は、彼ら奴隷たちの積もりに積もったストレスは「彼ら自身」に向けられたのでした。
ラップ好きなら聞いたことがある人もいると思いますが、“dozens”(ダズンズ)という言葉があります。
これは1865年まで続いた奴隷制度中に奴隷たちの間で発展した言葉遊びの一種で、実はこれが今の「ラップバトル」の原型になったものでした。
以下ではこの“dozens”についてもう少し詳しく解説していきたいと思います。
簡単に、dozensとは?
“dozens”とは、奴隷制度中に奴隷たちが日頃のストレスを晴らす目的で行っていた言葉による「ディスり合い」に端を発したゲームのことである。
「ディス/ディスる」というのは“disrespect”の略で、要するに相手を「けなす」ことです。
奴隷たちは奴隷主に向けることができない怒りや不満を他の奴隷たちにぶつけることで一時的にスッキリしていたんですね。
(・・・でも、結局そのストレスは一生奴隷たちの間を行ったり来たりしているわけだから、全く根本的な解決になっていないというのがなんとも皮肉ですね)
どうやってやるの?dozensのルール
ー映画“8 Mile”より
そんな“dozens”のやり方ですが、基本的には以下のようなルールで行われていました。
- 基本的には2人の参加者による1対1のバトル
- 通常2人の周りにはたくさんの見物人がいて野次を飛ばしてバトルを盛り上げたり、ジャッジを下したりしていた
- “dozens”に使って良いのは「言葉」のみで、相手の心をくじく罵詈雑言をいかに知的な「韻」や「例え」を使って表現できるかが勝利へのカギ
- 口撃は相手の学力や見た目、経済状況、社会的地位(当時は全員奴隷でしたが)、相手の家族をけなす罵りが中心
- 1つひとつの「口撃」自体は“snap”と呼ばれる
- 特に同性愛や性的な内容のディスを含むバトルは“dirty dozens”と呼ばれる
- バトルは一方が言い返せなくなったり、感情的になって手を出してしまったりしたら負け
- “dozens”の他にも“joning, capping, snapping, cracking, blazing, hiking, roasting, clowning, ranking, rekking, woofing, signifying”など様々な呼び名がある
ちなみに“dozens”は相手を精神的に痛めつけるために行われていたのではなく、あくまでも「奴隷制度」という最悪な環境下で上手くストレスを発散し、また同時に奴隷主たちからの不条理な扱いにヘコタレない強い精神力を養う目的で行われていたそうです。
そのため、“dozens”をやっていた当の本人たちはお互いの“snaps”を本気で捉えることはなく、どんなことを言われても「いかに平静を保てるか」が重要なポイントでした。
また、“dozens”ではしばしば相手の家族(主に「母親」)に対する罵りが多く、それは家族の中で母親の存在が特に重要だった黒人社会における特徴の1つと言えるでしょう。
そんな「相手の母親ディスり」をゲーム感覚で行うこの異常とも言える黒人の習慣のことを“yo mama (your mama) jokes”と揶揄する黒人以外の人種の人もいますが、例えば典型的な“yo mama joke”を挙げるとすると、
<例>
“Yo mama’s head so big, she fell and couldn’t stand back up”
「お前の母ちゃんの頭はデカすぎて転んだら起き上がれなかった」
“Yo mama stinks so bad, a donkey thought it was a sh*t hole and dumped on her head”
「お前の母ちゃんはクサすぎてロバが肥溜めと間違えてお前の母ちゃんの頭にウ◯コをした」
という感じになります笑
まあ正直こんなのは超序の口で、実際はもっと酷いことをもっと上手に韻を踏んで、ニヤッとさせられるような例えを使って言われると、周りの野次馬が「うおぉー!」と盛り上がって、相手は言い返せなくなったりするわけです笑
まさに現在の「フリースタイルラップバトル」の原型ですね。
dozensの起源は?
ー映画“8 Mile”より
そんな“dozens”ですが、最初に始まったのは19世紀初め、アメリカ南部のミシシッピ、ルイジアナのプランテーションであったと考えられています。
また、この激しいディスりの応酬が“dozens”と呼ばれるようになった訳には諸説ありますが一説によると、
- 当時、過労や肉体/精神的欠陥のある奴隷たちは他の欠陥のある奴隷と一緒にまとめられ、“a dozen”(1ダース=12個)単位でまるで「モノ」のように取引されていた
- そしてこの“dozen”として一括りにされることは奴隷たちにとって最大の屈辱でもあり、誰かが最初にこの「まとめ売りセール奴隷」をディスったのが始まりと言われている
という面白い歴史的背景があるんですね。
そしてこの“dozens”は奴隷制度に終止符が打たれた1865年以降も黒人の間で習慣的に受け継がれ、自然と「韻の踏み方」や「ユニークな例えの発想」や「相手のディスりに動じない強い精神」が鍛えられ、やがて後の最強のラップ戦士たちの誕生に繋がっていった・・というわけだったんですね。
ラップ誕生の歴史まとめ
ということで、上で見てきたようにラップミュージックの誕生と発展には大きく分けて、
- 西アフリカでの“griot”による伝統的な口頭伝承パフォーマンス
- 奴隷制度時代に端を発する“dozens”というディスりゲーム
の2つの大きな要因があったことがわかりましたね。
どちらも黒人の文化の中で生まれ育まれてきたものであることから、やはりラップミュージックは黒人によって作り出された音楽であると言って良いでしょう。
ということで今日は当コラム「なるほど!ラップの名曲パンチラインに学ぶ英語特集」で日頃扱っているラップ曲そのものが、いつ、どのようにできたのかというラップミュージックの誕生についてのお話しをしてみました。
これからもまだまだ数あるラップ名曲の中から日常で使えそうなかっこよくて面白い英語の表現を紹介していく予定なのでどうぞよろしくお願いします。
最後までお読みいただきありがとうございました。
それではまた!